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綾辻行人の「どんどん橋、落ちた 」。これはなかなか面白かったです!
ただ、「綾辻行人ってどんな感じだろう」って人が読まれると大変な事になるの請け合いである。インターネットなどで評判を検索してみて「なんじゃこりゃー!!!」と怒号が飛び交っているのも頷ける。

とにかく、この小説は本格ミステリーの体をしたジョーク小説のように感じた。
「本格ミステリーであるが故の苦しみ」の告発。

自分は推理小説は本気で犯人を当てにいくので当然フェアプレイが重視されている作品が大好きである。もちろんこの「どんどん橋」も推理してみたが「伊園家の崩壊」以外は見事に騙されてしまった。はじめの表題作である「どんどん橋、落ちた」の本気で推理し犯人を用意した上で解決編を読んだところで「ああ、これはそういう作品か」と人知れず納得してしまった。


「どんどん橋、落ちた」で肝になるのはM村は実は猿の村だったという事。そして犯人のエラリイも猿である。確かにいくら山の奥とはいえ日本でまだ人が誰にも知られずに集落を作っているとは考えにくいし、解決編で解説されている伏線によってもM村の奴らは人ではないという事は仄めかされている。 

確かにである。確かに自分もいくら犯人当て小説であってもM村はおかしいと思ったが本文中に書いてないものの勝手に人と思い込んでいた。しかし、この小説を読んで苛立ちを隠せない人は「揚げ足を取られた!」などと思うはずである。

これらの話は何かというと「本格ミステリーであるが故の苦しみ」であるように思える。本格ミステリーはとにかくフェアプレイ。読者は本文中に書かれている鍵を全て正確に拾い、それらから論理的推理を進めさえすれば全員が犯人にたどり着けるはずであるし、そうでなければならない。

が、言ってしまえばこれはとてもつまらない話である。要は1+1=2を多くこなしてるだけである。ただミステリ作家は「一見鍵とは思えない鍵」だったり「常識によって勝手に除外される可能性」だったり「驚愕の論理展開」だったり工夫を凝らしている。とにかく意外性がなければ読者は読んでいて退屈。

綾辻行人はフェアプレイにはかなり厳しい。人が殺されてないのに「殺人」と言ってはいけないだとか、「どんどん橋、落ちた」を読めばそれは嫌というほど分かるだろう。本格ミステリーとして成立させるためフェアであろうとすればするほど内容が判然とし、意外性が薄れていくというジレンマが作者を苦しめていたのではないだろうか。

「フェラーリはみていた」という話で、ミステリーとしては100点の推理をして犯人を言い当てるが真相は味気ないものであったという結末は実に皮肉的である。なんだか「本格推理なんてこんなもの」と諦めのような悟りのようなものを感じる。

「どんどん橋、落ちた」は結局何かといったら、「フェアプレイ」と「意外性」といった本来両立不可能であるはずの要素を両者極限まで高めた結果であると思う。それで読者が楽しめる、楽しめないは別問題ととしてね。
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